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-過去日記・中学校時代-( ここから・転載では・ありあません )

混線と・テレクラ   ( 20120723 )



・「 パーティーライン( 混線 ) 」が、小中学生の間で、とても流行っていました。
雑誌にも、たくさんの「 パーティーライン 」の番号が、掲載されていました。


小学校時代に、「 相談電話 」に、イジメでかけろと言われ、ウソの相談を、みんなが見ている中で、なんどか、かけさせられたことがありました。


相談電話の大人に、怒られたことも、ありました。


イジメられて、「 かけさせられていた 」のに。その相談者の大人にも、怒られてしまい。
とても、悲しくて、苦しくて。
どこにも、「 助け 」が、存在していないことに、改めて、救いのない時間を、再確認した瞬間でもありました。


そんな中。
中学生になって、しばらく経った頃。
クラスの一部の少女たちの間で・「 パーティーライン 」が・急激に流行りました。


私も、誘われ。
なんとなく、興味をひかれ、参加してみることにしました。
テレクラよりは、敷居が低く。
また、利用者も、「 大人の男性 」ではなく、同年代の少年少女が、ほとんどだったのもありました。


1ライン、3~10人くらいの、パーティーラインでした。
8~12人以上になると、パンクしてしまうことの繰り返しでした。


一定の、固定ラインでは、一人の特定の少女が、仕切っていることが多く、命令口調だったりして、とても居心地が悪かったので。
一つの場所にこだわらずに、毎回違う番号にかけて、数十分から、数時間遊んでいました。


そんな時間が、数か月から~1年もすると。
急激に、「 使える・パーティーライン番号 」が・激減してしまいました。
現存の番号を、みんなで・情報共有したりしていましたが、ほとんど消滅してしまうと。
今度は、「 故意に・一つの番号に・集中して・電話をかけることで・混線( パーティーライン ) 」を・作り出していましたが。それも、いつしか、消滅してしまいました。


パーティーラインは、同年代の、少年少女( ほとんど9割くらいが、少女 )で。
・イジメ
そんな閉鎖的なことは、ほとんどなく。
ただ、日常的な、たわいもないことに、誰もが、楽しく会話して、過ごしていました。


ほとんどの、パーティーラインが消滅してしまい、私も、いつしか、電話に触らなくなりました。


そんな、しばらく経ったある日。
ほとんど、話したことのない、2つ下の従姉妹( 母方の従姉妹。のちに、15年くらい、同居することになります )から、テレクラの雑誌や、ポケットティッシュを、渡されました。


手渡されたものを見て、興味がなかったので、「 いらない 」と、突き返すと、「 面白いから、かけてみなよ。パーティーラインより、絶対!面白いから! 」と、言われ。
しぶしぶ、手にして、部屋のドアを、閉めました。


日常的な、母からの・「 折檻 」。
殴る蹴る、暴言や、脅し、、、。


心身ともに、疲れ果て。
ふと、妹からもらった、テレクラの番号が、頭によぎり。
お手伝いさんが、毎日掃除してくれるのですが、私の部屋の掃除は、断っていたので。
足の踏み場もない、荒れ果てた部屋から、ポケットティッシュを見つけると、ためらいながらも、電話をかけてみました。


このまま、
誰でもいい
結婚でも、なんでもいい
家から出してくれるなら
セック○だって、なんだっていい
好きなだけ、あげるから
いますぐ!この家から!出して!!
逃がして!!
助けて!!と、悲痛なくらい、逃げ出したい気持ちに駆られ、電話をかけました。


電話は、1コールも鳴ることがなく、すぐに
・男性・「 ハイ!もしもし!? 」と、ものすごい、勢いの声で、電話がとられ、びっくりして、あたふたしていると、ゆっくりした口調で、話し始めてくれました。


なんだか、その日は、お互いに自己紹介をして、少し数十分?話して、終わってしまいました。
なんとなく、拍子抜けだったのと。
テレクラって、「 怖い 」というイメージだったのですが、実際にかけてみると、別に普通の電話だったので、そこにも、びっくりしました。


それから、なんどか、続けて、電話をすると
・テレフォンセッ○ス
誘われることも、たびたびあり。そういうときは、「 ごめんなさい 」と、電話を切って、違うお店にかけたりの、繰り返しでした。


在る日、大学生のかたと、電話がつながり。
近くの駅で、ボーリングをしようということになり。
一人で行くのが、怖くなってしまったので。
いつも、イジメられるのを怖がって、私のそばに隠れていた少女を、誘って行きました。


最初、大学生のお兄さんは、中学生の少女二人で行ったことに、驚いていたようですが。
ボーリングを、2~3ゲームして、軽くごはんを食べて、帰りました。
制服で行ったので、「 制服で来ちゃったか~ 」と、言われたことが、なんとなく、意味は判らなかったのですが、いけなかったのかな?と、思い。
このあと、やっぱり、「 テレクラ 」やめておこうと、思いました。
雑誌や、ポケットティッシュも処分しました。
・出かけていける・「 普通の服 」が・制服しかなかったのです。あとは、フォーマルや、スーツ。見るからに高価なブランド品しか、持っていなかったからでした、、、。


テレクラのことも、すっかり忘れて。
いつもの日常に帰ったころ、母から突然怒鳴られて
・母・「 テレクラのポケットティッシュ!出せ!!コノ発情豚野郎!! 」と、襟首をもたれ、引きずり倒されました。


いきなりのことだったので、びっくりし。
体勢を立て直して、立とうとすると。
いつもの、殴る蹴る、暴言などの・「 折檻 」が、はじまり。


母が、殴り疲れ。蹴り疲れ。呶鳴り疲れると。
いま、『 怒られていることの・理由説明のようなこと? 』が・始まりました。


どうやら、1~2ヶ月前にもらった、妹の「 テレクラ番号 」が・問題になっているようで。
なんで、いまごろ、怒られているのか判らなかったのですが、テレクラのポケットティッシュは、捨てて無いことを、母に伝えると、


・母・「 おまえは、アイツ( 母の姪・私の母方の従姉妹 )が来るまでは、そんなことしない娘だったのによ!! 」と、呶鳴りながら、どこかへ行ってしまいました。






大人になってから、従姉妹に聞いたのですが。
このとき、さんざん、母から怒られたそうです。


だから、従姉妹は、私に「 異性関係 」に関することに、メチャクチャ、神経質になりました。
従姉妹曰く
・従姉妹・「 おばちゃんに怒られるから!おまえはするな!! 」と、多くのことを、従姉妹に、とめられるように?なりました、、、



>テーマ:-過去日記・転載・高校時代-
・夏休み最後の日  (20100608)
http://ameblo.jp/buraiai/entry-11295752552.html
すると、母が、妹を、蹴りだしました。
妹も私も、体制が崩れると、正座しろ!と、怒鳴られ。正座をしながら、殴られました。
母は、手鍋で、私を殴りだしました。手鍋が、折れました。
掃除機も、壊れました。いすも壊れました。

     ↑妹( 従姉妹 )に、ダイニングデーブルの、大きくしっかりしたイスを、母は両手に持ち、そのイスを持ち上げて、妹を、殴りつけたとき、イスは、壊れてしまいました。トータル・2~3脚、壊れるほど、殴られました。


このとき、母の第一声が、従姉妹に
・母・「 この!!パンスケ野郎!!売女( ばいた )野郎!! 」と、殴りかかったことに、その、言葉に、びっくりしました。


なんで、「 パンスケ 」なんて、言葉が、ここで出てくるのか、理解に苦しみました。


けれど、大人になるにつれて。
そして、母のブログを、読むにつれて、その「 言葉の意味・背景 」が・判るように、なりました。




>中学時代の・「 正気と・狂気と・仕事の・狭間 」で、、、
http://ameblo.jp/buraiai/entry-10950310860.html
母は、祖母が嫌いです。父との結婚の挨拶の際、なじられた事が、忘れられないようでした。
「 このパンスケ! 」「 泥棒猫! 」「 乞食ヤロウ! 」と、散々、罵られたそうです。
母のお腹には、私が居ました。何人かの流産の後に、やっと出来た子供だと言っていました。
結婚してからも、ずっと。母は、父の母と姉に強いられて来たそうです。
結婚式にも、出てくれなかったのも、家に上げてもらえなかったのも、きっと母は辛かったのでしょう。
祖母の方は、家が衰退して、生活は父が子供の頃から困窮し、やっと父がプロデビューして、
生活が楽に成ると思っていたた矢先に母と結婚する事になった経緯が、許し難かったのでしょう。




>妹と・ミハタテナチ?と・ウエケンと・クルマと・アタチ・・・Y⌒Y⌒ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ
http://ameblo.jp/buraiai/entry-10944185683.html

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    ↑妹は、メチャクチャ(^^;;;>母に、気を遣うように?まりました


そして、妹がずっと、心に引っかかっていたこと?
・「 バイタヤロー!! 」と、言われたことが
ずっと、根柢にあったようです、、、


妹曰く
・妹・「 中学生の女の子に、バイタなんて言う!? 」
・妹・「 おばちゃんは、私のこと、バイタって思っていたのかな 」
とても長い間、ココロの根底で、引っかかっていたようです


たぶん、いまでも
本当の意味では、消化していないのだろうなとも、思います、、、


アダルトチルドレン
機能不全家族


これが、少しでも、誰かのナニカに、ナニカの一つに、なれますように、、、

今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、


いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、
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テーマ : AC(アダルトチルドレン) - ジャンル : 心と身体

-過去日記・転載・中学校時代-

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パン屋の息子      (20120422)

中学へ入学して、しばらく経ったころ。
いつものように、けだるく教室の机で寝ていたのですが声をかけられ起こされ見上げると。
小学校時代、一番モテていた男の子と一緒に、中東系外国人のような男の子( パン屋さん )が、私の席へ連れ立ってきました。
嫌だな。と、思いました。

小学校時代、一番モテていた男の子( 小学校時代は・3番目くらいの・権力者でした )は、私をイジメながらも、それなりに気にかけていてくれていたのは、しっていたのですが。
小学校時代、1・2を争っていた権力者の男の子から・「 こいつは・T( ←クラスの女の子のなかで、
一番の権力者。この女の子にも、イジメられながらも、気にかけてもらっていたのも、事実だったと思います。
私は、小学校時代低学年のころは「 オンボロ号 」という名の、彼女の「 馬 」でした。 )と・H( ←私の苗字 )の名前を出すと・すぐに顔を真っ赤にして・遊んでても家に帰っちゃうんだぜー!! 」と、はやし立てていたのを、目の前で聞いてから、この男の子が、とても苦手になってしまいました、、、
そして、小学校時代1番モテていたハズなのに、転校生の男の子を、執拗なまでに追い詰めていったのも、この男の子だったからです。

小学校時代の子供たちが、中学にあがってから私に話しかけてくることは、ほぼ皆無でした。
みな、小学校時代での私へのイジメの報復を、恐れているようでした。
ですから、ほかの小学校の男の子を連れて、私のところまでやってきたのかも知れません。

・私・「 なに? 」と、返事を返すと
中東系の顔立ちの男の子が・「 お金、ちょーだい。1万円 」
私は、顔をしかめ隣の小学校6年間同クラスだった男の子を・凝視しました。

すると、「 H( ←ほとんどの人は、私のことを苗字で呼び捨てにします )、おまえコイツに、お金やってくれよ 」と、少し緊張した面持ちで話しかけてきました。
私が、二人の男の子を交互に見比べていると、小学校時代同クラスだった男の子が・「 じゃあ、今日おまえんち行ってもいいか?三人でドンジャラやろう。賭けて。それなら、いいか? 」
かなり、意味がわからず、テンパってしまい。お金よりは、まだ賭けドンジャラのほうがマシだったので
・私・「 ドンジャラ知らない、やったことない。教えてくれるんなら、いいよ 」と、言葉を返し、そのまま私のうちで合流になりました。

苦手意識を持ってしまっている男の子と、中東系外国人風の男の子と。
ため息の中で、「 いくつかの選択肢を出されてしまうと、断りづらい 」のは、機能不全家族や幼稚園や、小学校6年間のイジメ。仕事などの影響だろうと思います。
リビングを締め切って、お茶とお菓子を用意して男の子たちを待ちました。

しばらくするとチャイムが鳴り、さきほどの男の子たちが大きなドンジャラセットを持ってやって来ました。
ため息混じりに男の子たちをリビングへ通し、一連のルールを聞いてドンジャラを始めました。
2~3時間経ったころ疲れたのと飽きたのとで、お開きにしました。このときの勝敗は、覚えていません。

そのあと、何度か同じように、うちへドンジャラをやりにきました。
小学校時代、私と帰りの道が一緒だったので、よく一緒に帰っていた女の子も参加するようになりました。
( 過去日記・小学校時代・「 誕生日会。 」参照してください。 )
この女の子も、小学校時代同クラスだった男の子が好きだったのも知っていたので、さらに気分が悪くなり。
これ以降は、うちでのドンジャラは取り合わなくなりました。

中東系外国人のような男の子が、「 お金ちょうだい。1万円 」と、ビクつきながらも話してくるので。
メンドクサクなったのと。小学校時代毎日お金を奪われていたので、会社の売り上げから1万円を渡してしまいました。
そのあとも、何度となく、どことなくビクつきながらも、お金の要求をしてくるので、どこを怒っていいのか混乱してしまい、混乱したまま会社の売り上げから1万円を無断拝借しては、渡すことの繰り返しでした。
1~2年、そんなことが続いたと思います。

もしここで、小学校時代同クラスの男の子たちにも、「 お金の要求 」があったのなら。
私は、怒っていたと思います。
ですが、この中東系外国人風の男の子からしか、要求されたことがなかったので、どう対処していいのか判らなかったのもありました。
私が声をあらげれば、たぶん、この男の子は学年中のイジメに合うだろうと。
また、3年生がそれを聞きつけて、なにかをしてしまうかも知れないと、距離感がつかめず常に困惑していました。


男の子たちが、私にビクついていたのは。私が怖かったからじゃありません。
ちょくちょく、3つ年上の卒業したばかりの、地元一体の番長だったイトコが怖かったからです。
イトコは、私をちょくちょくお昼ご飯ごろなどに迎えに来てくれました。

それを、3年生・2年生の教室から。遠目にも毎回のように派手な男女から「 Yセンパーイ!! 」と、歓声に迎えられていたのですから。
その・「 威力 」は・当時の子供たちの中では、計り知れないものがあったのだろうと思います。

私は、「 虎の威を借る狐 」なのだろうと・どんどん、自分が吐き気がするほど大嫌いになっていきました。

>余談ですが。
パン屋の息子は
・パン屋の息子・「 1万円札じゃなくて、千円札で持ってきてくれないかな? 」
・私・「 アハハハハハ~そのくらい、自分でなんとかしな!! 」

こんな会話の中にも、それぞれの「 力関係 」が、にじみ出ているようで気分が悪かったのを、覚えています。
なぜ、そこまでビクついているのに、「 お金 」が・欲しがるのか。私には、理解できませんでした。

会社から無断拝借していたお金は、小学校時代に数十万となり、両親にバレてかなり怒られました。
ですが、「 イジメられている 」「 金銭の要求がある 」「 持って行かないと、もっと暴力を振られる 」とは、最後までいえませんでした。
機能不全家族。
そのころにはもう、私自身・「 仕事( 現場・電話接待・運営・人事 ) 」などをしていたので、家族間のパワーバランスでも、いえませんでした。

テーマ : エッセイ - ジャンル : 小説・文学

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卒業  (20090825)

体育館で、卒業式が済んで、解散になりました。私は一人、3年間同じクラスだった少年を探しました。
( 過去日記・中学校時代・夏服・で触れている少年です。 )
プールの横の渡り廊下を抜けて、校庭へ向かいました。
教室のある校舎には、左右に分かれている坂から行くか、階段から行くしか外側の道は在りませんでした。
私は少し迷い、階段を登ろうとした時、階段の真上から、少年声がして頭上を見上げました。

すると、一つ下の少女たちから、「 第二ボタン、ください 」と、言われてました。
私は、階段の隅に咄嗟に隠れてしまいました。見つかりたくなかったからでした。
少年の声が聞こえました。
「 ごめん、第二ボタンはあげる人がいるから。Yシャツのボタンでいい? 」と、答えてました。
そして、Yシャツのボタンを、少女に渡しているようでした。
私は、なんとなく居辛くなり、立ち去ろうとすると、真上から声がかかりました。

「 ○○○○!( ←私の名前です ) 」と。
少年は、階段を駆け下りてきました。私は、なんとなく、立ち聞きしてしまったようで、バツが悪く。。。
だけど、少年が、ガクランの袖も、第二ボタン以外全てのボタンのないガクランから
、第二ボタンを外して、
「 これ、 」と、私に差し出してくれました。
少年は、白いYシャツのボタンのほとんども、少女たちに取られているようでした。
ですが、第二ボタンだけは、残してくれていたようで、、、胸がとても苦しくなりました。

私の手には、2年の番格の少女からもらった、花束かありました。
少し迷ったのですが、少年に差し出しました。胸がいっぱいで、言葉にまりませんでした。

いつも、優しかった。
彼のために、3年かけて編んだ、セーター。 でも、渡せなかった。
彼に好きな色を聞いて、「 ペパーミントグリーンが好きだよ 」と、言われ、
「 ペーパーミントグリーン? 」と、発音が解からなく爆笑され、恥ずかしかったり。
いつも、うまく編めず、3回くらい、違う毛糸、違うカラーのセーターを、隣同士や近くの席で編みました。
運動会。彼にお弁当を作ろうとして、失敗して。 たまごサンド。 腐らせてしまって。
でも、笑ってくれて。
彼はとても、もてたのに、彼女も作らなくて。どこか、すごく、嬉しくて。
すごく好きだったのに、素直になれなくて。 でも、いつも、近い場所にいてくれた。。。

彼に、好きな香りを聞いたのに、「 ピーチの香りが、好きだよ 」と、いわれたのに、
ピーチのコロンを、いくつか探したのに、、、甘くて、恥ずかしくて、レモンライムの香りを使ってしまったり、、、
でも、一つ一つが嬉しくて、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、胸がいっぱいになりました。。。。。。。。。
ありがとう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

私たちは、そのまま、わかれました。 もう、胸がいっぱいで、言葉になりませんでした。
少年からもらった第二ボタンは、小さなビンに入れて、30歳くらいまで、大事にとっておきました。
人を好きになる気持ち、人を大切に思う気持ち、人を信じる気持ち。
彼からもらった第二ボタン、、、私に、希望のようなものを、もたらしてくれました。
ありがとう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
やさしくしてくれて、ありがとう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これ以降、過去日記、高校時代に、進みます。
中学校時代、書きこぼしや、書ききれなかったものなどは、また改めて、書き足していくと思います。

どうか、今現在、苦しんでいる子供たちが、家族が、少しでも救われていく事を、強く願います。。。。。

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まがった指     (20090824)

私は「 人の名前や・顔・地名・地図・道 」などが、どうしても、覚えられません。
幼い頃から、自分自身に強く、暗示をかけてきたせいだと思います。
なんとなく、聞き覚えがあるものなど、頭の中で考えながら、人と話す感じでした。

そんなある日。卒業の迫った頃。
いつも、私のそばにいた、イジメられっこだった二人が、珍しく話しかけてきました。
「 ○○○さん、知ってる? 」
彼女たちの会話は、そんな話ばかりでした。
主に2つ上の、私の従兄弟とつるんでいた不良と呼ばれている人たちの名前ばかりを、
なぜだか出してました。

従兄弟からは、ときどき、いろんな話を聞いたりしていたので、その中の誰かかな?と。
また、私が一年の頃、教室に来てくれたり、廊下や校庭で、私を見かけるたびに声を
かけてくれてたので、その中の誰かだろうなあとは、感じてました。
だから、「 たぶん、判るけど、それがなに? 」と、言うような生半可な返事ばかりを、繰り返してました。

そんな繰り返しの中で、小さいほうの少女が私に言いました。
( 過去日記・中学校時代・プライド・に出てくる、私の名前を出した方の少女です。 )
「 ☆☆☆☆( ←私の名前です )さん、いつも、ウソばっかり!知らないじゃん! 」と。
私は、カチン!ときて、怒ったと思います。 彼女たちは、そのまま、消えました。
私は、ムッとしながら、イラついていたと思います。 ウソツキ呼ばわりされたことに、我慢が出来ませんでした。

そして、いつも、おとなしげなくせに、今日に限り、なぜか挑戦的な態度にも、ムカッときてました。


ると、一人の夕食を食べ終わった頃、誰かは忘れましたが、電話が鳴りました。
覚えている内容は、私が『 いつも、ウソをついていると、あの二人、言いまわっているよ 』との、ことでした。
一気に、先ほどの怒りとともに、ブチ切れてしまいました。
倉庫にあった父の重たい木刀を取り、玄関に走っていきました。勢いあまって、じゅうたんで転んでしまい。段差になっている、玄関の階段に、おしりがはまってしまいました。
も~!怒り!心頭です!恥ずかしいやら、ムカつくやら!!
だけど、はまってしまったおしりは、抜け出せません。も~う!!イライラする~!!!腹立つ~!!!

弟が、笑いながら、私を引っ張り上げてくれました。それまでは、木刀を戻せと諭していたのですが。
いまは、笑い転げながら、私を引っ張り上げてくれました。
もう、それでも、腹が立ち!自転車に木刀を突っ込んで、小さいほうの彼女の家に行きました。
ですが、誰もいませんでした。しかたなく、大きいほうの彼女の団地へ向かいました。

彼女の住む団地に着き、自転車を階段近くに止め、木刀を手にしたとき、いくつかの視線に気がつきました。
年は、私と変わらない少女が、私を見ています。
ムカついて、「 ウゼー!!消えろ!ぶっ殺すぞ!テメーラ!! 」みたいな威嚇をしたと思います。
( これは、高校時代で、自尊心のようなものを支払う代償に、なりました。 )
少女たちは、走って行きました。 私はそのまま、木刀を手に持ち、大きいほうの彼女の部屋へ向かいました。

チャイムを鳴らし、怒鳴りつけました。「 出て来い!テメー!! 」と。
両親が、彼女をかばいます。「 出せよ!オラ!! 」みたいなことを、私は怒りのままに、発します。
彼女が、遠くから、謝ります。泣きながら。 両親は、オロオロと「 許してください 」と頭を下げてきます。
イラつきながら、
「 ○○○○( ←小さいほうの、少女の名前です。 )どこにいる?居場所を教えろテメー! 」と。
居場所は解からないけど、明日、必ず、私の前に連れて来ると言うことで、収まらない怒りを抑え。
とりあえず、家に帰ることにしました。

次の朝、背の大きいほうの少女しか、登校してきませんでした。
彼女に、詰め寄りました。「 ○○○○は、どーした?テメー!!! 」と。
彼女は、萎縮しながら。 「 今日の夜、必ず連れてくるから、どこに連れて行けばいいですか? 」と、聞かれ、

一瞬、夜かよ!ッチ!っと、思いながら、話の出来そうな場所を、探してみました。
3つ上の従兄弟と、学校の窓ガラスを割った、神社が一番、人に見つかりにくかったので、そこを指定しました。

大きい彼女は、「 解かりました 」と言って、戦意喪失どころではないくらい、萎縮してたので、許しました。

夜になり、食事も終えた頃。電話をしたか、かかってきたかは、覚えていませんが。
神社に来るので、私にも来て欲しいと話がついたので、神社へ向かいました。
ですが、少したっても、小さいほうの彼女が現れません。
私はイラつきながら、大きい彼女に、詰め寄りました。
「 いつくんだよ!テメー!ふざけてっと、マジ!!ぶん殴んぞ!! 」と。
彼女は、もう直ぐ来ますから、と、私をなだめます。

しばらくして、小さいほうの彼女がやってきました。
私は、神社の裏手に場所を移しました。 二人の少女は、萎縮しています。 全てが、ムカつきました。
「 オイ、テメー。私がなんだって?ウソつきだって? 」と、不機嫌なままに、ケンカを売りました。
小さい方の彼女は、ひたすら謝って来ます。私は、許しません。
「 ふざけんなよ!テメー! 」と、襟首を掴み、ケンカを売りました。
それでも、彼女は、ひたすらに、目を見ずに謝って来ます。
「 謝るくらいなら!ケンカ売るんじゃねーよ!! 」と、突き倒したと思います。

彼女は、足元で、ケンカを売ってません!すみませんでした!と、繰り返し、謝って来ます。
イラつきが募ります。蹴り飛ばしました。「 ふざけんな! 」と。
彼女の襟首を掴み、「 なめてんじゃねーぞ! 」と。睨みつけました。
ひたすら、彼女は、「 なめてません!すみませんでした!! 」と、謝って来ます。
イラつきが募ります。謝るくらいなら、なめたマネしてんじゃねーぞ!!と、、、
小さい方の彼女を、殴りつけました。 それでも、体は私より10cmくらい大きかったのですが。

「 あのふざけた態度は、なんだ?テメー!? 」と。 
散々、人の背後に隠れて、身を守っといて、ふざけんなよ!!と。殴り飛ばしました。
彼女は、ひたすらに謝り、自身の体を私から守るように、丸くなり。謝り続けます。
吐き気がしそうでした。この、卑屈な態度。そして、私のいないところでの、吹聴。。。きたならしい!!!そして、一方的な暴力に、吐き気がしそうでした。
「 かかってこいよ!テメー!売ったケンカなら!買ってやるって言ってんだろ!!ふざけんな!!! 」と、
殴りつけ、蹴り倒し。 彼女を、引き寄せ、顔を上げさせて、怒鳴りつけました。
「 かかってこいよ!オイ!! 」と。
彼女は、顔をそむけ。ひたすらに、謝ってきます。私は、許しません。 怒りのままに、殴りつけました。
彼女は、ただただ、謝るばかりでした。 気持ちが悪い!!!!!!!
キタナイ!!! なぜ、私に抵抗しないの??? 気持ちが悪い!!!!!

もう、彼女の戦意なんて、どうでもよかった。 殴りつけました。何度も何度も。
反撃してくるなら、してくればいい。 自身を守るために、反撃してこいよ!!と。。。。。。。
だけど、彼女は地べたに丸くなり、私から、おなかと頭を守るように、丸くなるばかりでした。
殴り疲れ、私は立ち上がり。 蹴り倒しました。 「 かかってこいよ!オラ!! 」と。
彼女は、うめきながら、謝るばかりでした。  気持ちが悪い!!!!!!!!

疲れ果て。 殴る体力もなくなった頃。
足元で、うずくまる彼女を、見下ろしながら、吐き気を抑えました。
それでも、一方的な暴力は、卑屈な彼女たちは、とても、気持ちが悪く、吐きそうで仕方がありませんでした。
私は、捨てセリフを吐きました。「 二度と、私を怒らせるなよ?テメー! 」と。
小さいほうの彼女は、ひたすらに謝ってきます。 体の大きいほうの彼女も、謝ってきます。
気持ちが悪くて、仕方なく。 私は、その場を後にしました。

家に帰る途中で、指が痛む事に気付きました。
指を見てみると、親指以外、ほとんどの指が、曲がっていました。
第一・第二・第三間接が、ぐちゃぐちゃに、まがりくねってました。 びっくりしました。
その指をみて、痛みよりも、吐き気に襲われました。 気持ちが悪い!!!ナニコレ???と、、、
そして、次の瞬間、不安に襲われました。 この指、どうしよう???と、、、

泣きそうに、不安になりながら。 また、その、まがりくねった、気持ちの悪い指を見ながら、吐き気を抑え。
家に帰ると、父がいました。 
怒られるのを覚悟して、父に、「 パパ・・・ 」と、指を差し出しました。

父は、私の指を見て、「 馬鹿だなあ 」と、とても悲しそうな顔をして、
「 ケンカしたのか? 」と、聞いてきました。
私は泣きそうな顔で、「 うん 」と、答えました。
父は、私の両手を合わせるようにして、父の両手であたたかく包んでくれました。
「 もう、するなよ 」と。
そして、「 少し痛いけど、我慢してろ 」と、言われ。 うなずきました。

私は、その気持ちの悪い指を見たくなくて、顔をそむけました。
父は、私の指の一つ一つの曲がった関節を、直していきました。
その感触は、とても、気持ちが悪く。 吐きそうでした。
全ての間接が、元どうりになったとき、父が、「 もう、するんじゃないぞ 」と、
優しく声をかけてくれました。
私は、自分の指をみて、父の優しい声に、驚いて、イッパイイッパイになりました。

次の朝、学校へ行くと、二人の少女が、教室で私を待ってました。
私が席に着くと、私の前に立ち、謝ってきました。 とても、酷く、ビクついてました。
イジメを恐れているようでした。 その態度に、気分が悪くなり、もう、見たくなくて、
「 もう、いいから 」と、言って、顔を背けました。 
まだ、なにか言いたげでしたが、私は机の上に丸めたジャージを置いて、眠るしぐさをしました。
彼女たちは、しばらく立ち尽くしているようでしたが、そのまま自席へ戻って行きました。
私は、どこか、ホッとして、溜め息を漏らしました。。。気持ちが悪いと、、、

もう、私に、関わらないでと、、、、、、、、、、、、、気持ちが悪い、、、、、、、、、、、、、、、、、、
もう、許して、、、もう、カンベンして、、、、、、、、、、、、もう、本当に、赦して、、、神様、、、、、、、、、
私は、泣きそうでした、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

******************************

↓これ以降

その日の・夜
私は・眠れませんでした、、、

>「 死んでしまったら( 殴りどころ・蹴りどころ・が・悪く ) 」どうしようと、、、
>「 内臓破裂で・死んでしまったら( イジメの事件で・内臓破裂で・死んでしまった・少年のニュースを・見ていたと・思います、、、 ) 」どうしようと、、、

ただ・ただ、、、怖く

明日の朝・少女の安否を・確認しようと・時間が経つのを
朝になるのを
恐怖感の中で・待っていました、、、



>-過去日記・転載・中学校時代-
>プライド     (20070901)
http://ameblo.jp/buraiai/entry-10915885637.html

テーマ : パパ育児日記。 - ジャンル : 育児

-過去日記・転載・中学校時代-( 補足・加筆 )

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高校入試   (20090823)

進学する意思がなく。願書提出最終期限の迫った頃。面談に呼ばれ。両親は、出席せず。
それでも、進学の意思がない事を告げました。
連日、母に叱咤されました。精神的にもキツクなり、父方の祖母の家へ行きました。

時刻は、夕方でした。 時間帯のせいか、祖母は身内は、知人は、花札に興じています。
それでも、おばあちゃんに、 
「 高校へ行きたくない。 」と、一言、助けを求めました。
祖母は、適当に聞きながら、花札の札がまき終ると、慌てて席に戻ってしまいました。
「 ○○○( ←私の名前です )、あとで、おばあちゃんが言っといてあげるから、気にすんな 」と言われ、
そのまま、部屋を出て行きました。

しばらく、神社で時間を潰し、暗くなった頃、家に帰りました。
母が、ものすごい剣幕で怒っています。
「 ババーは、うちのことなんか、大嫌いなんだよ!だから、お前が進学しないのは、嬉しい事なんだよ! 
 無理に、お前に進学させるなって言われたぞ!お前は相談する場所を間違えている! 」と、言われ、
母が毎月2回近く会食などに出かける神社へ、連れて行かれました。

神主さんが、おっしゃいます。
「 人のために生きる事は、尊い事です。 」。。。。。。。。。。。解からないよ、、、
家に、残れという。
学校に、進めという。。。。。。。。。。。判らないよ。。。。。。。。。。。。。。。苦しいよ。。。。。。。。。。。。。
もう、許してよ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
もう、許して、、、、、、、、、、、、、、、、
もう、、、許して。。。。。。。。。。。。。。。。。。

母は言います。
「 お前のため 」だと。「 お前の幸せのため 」だと。
「 家族みんなの、幸せのため 」だと。
「 お前一人が、勝手をすれば、家族はまた、バラバラになっちゃうんだぞ 」と、、、、、、、、、、、

私は、進学する事にしました。もう、無理でした。ココロが壊れてしまいそうでした。
「 言葉 」が、どれ一つ、繋がらない、、、、届かない、、、伝わらない、、、、、、、、、
もう、いい、、、判ったから、もう、なにも言わないで、、、、、、、、、、、、、、、、、
私は、入学式の日に、ケンカして、そのまま退学になろうと、決めました。
ケンカで退学になれば、もう、「 仕事 」も無理だろうと。
ケンカで退学になるような娘を、接待や仕事先に、出せないだろうと、、、
もう、「 言葉 」を繋げることを、伝える事を、解かり合うことを、放棄してしまいました。もう、無理だと。
ココロが壊れてしまう、、、、、、、、、、、、私自身が、壊れてしまう、、、、、、、、、、、、、もう、無理、、、、、、

「 言葉 」が、届かない。
誰にも届かない。。。繋がらない、、、誰にも、届かない、、、いつも、、、届かない、、、、、、、、、、、、、、、

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私は、一つの高校しか、願書を受け付けてくれる学校がありませんでした。
その学校は、地方でもとても有名な学校でした。
不良か、イジメられっこか、どちらかしか入って来ない学校だと、有名校でした。 
入試は受かりました。

その神社は、母は弟ではなく、私を連れて行き、
「 今後、私の後を、娘が全て引き継いでいきます。 全てです。 」と、
母が、神主さんや他の方に、ことあるごとに私を紹介しました。
それは、お布施も含めた、全ての「 行事 」をさしました。。。
もう、ココロが苦しかった。全てから、許して欲しかった。。。。。。。。。。。。。。もう、赦して欲しかった。。。。。。。

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↓これ以降・20110717日の・「 補足・加筆 」です、、、

>神主さん

家を建て直すとき
弟の親友のかたに・お願いしました、、、
そのかたは・隣の中学での・「 番長 」だったかたです、、、( たしか )

そのかたから
神主さんの・息子さん( 現神主さん )の・「 金銭の流れ 」を・聞きました、、、

多くの・神主さんの・「 金銭の流れ 」を・聞きました

家を建ててくださったかたもまた
神主さんから・電話をいただいて・
その・「 現場 」に・なんども・いらしたそうです、、、

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